コロナでリアルがオンラインに置き換えられる事も自粛に正義もない。

Re-40「RE党」

ふと思うところあってブログ2本同時書きに挑戦しました。1本はROOTS FACTORYの家具作りたいおっさんのひとり言ブログ、もう1本はこのザ☆記のブログです。

 

まず、「自粛に正義なんてない」と言っておく。

 

GW最終日、世の中はコロナ真っ最中で、どえらい事になっています。ライブハウス、飲食店などは休業や自粛を余儀無くされ悲惨な状況になっています。経済的な打撃で言うと、スーパーやホームセンターを除いた他の業種も同じくでしょう。

 

家具店なんかは「生活必需品を売る店」として休業要請の対象外になってますが、これは全業種には給付金を出せないから除外されたんやろうな、とヒシヒシ感じます。だって連日テレビや新聞、ネットで「外出するな!自粛して!」と繰り返され、外に出れば目の敵にされるような状況で

 

「あ、家具買いに行こう♪」

 

なんて思いますか?そんな訳無い。だから家具店は悲惨な状況だし(と言うかそもそも3月末からウチの東京店は自主休業してるけど)商業施設やアパレル大手なんかが営業自粛する事で広告とかも動かなくなってWEB業界も大変みたいだし(ザ☆記の主のロックオンは忙しいらしい)スーパーやホームセンターを除いた他の「店」は悲惨な事になってます。

 

で、かたやスーパーやホームセンターはどうかと言うと、連日お客さんは来るから売り上げは確かに上がっているけど、それによって密が生まれ感染リスクは上がるし、接客をする店員さん達は戦々恐々、

 

それを指示する店側も売り上げはあげないといけない(そりゃそうだ、売り上げないとお給料払えないから)けどスタッフ内に感染者が出たら非常にマズイしこれまた戦々恐々としてます。

 

じゃ全然書き切れてないけど、要するにどこもかしこも大パニック、戦々恐々としています。で、それの何がマズイってね、

 

「働きたくない人は働かざるをえないのに働きたい人は働けない」っていう意味不明な状況。

 

自粛も大事、経済も大事、安全も大事、世間体も大事、お金も大事、家族も大事、大事なもんはいっぱいあるけどアッチを立てたらコッチが立たない、みたいななんとも意味不明な状況になってる訳です。

 

そんな時にさらに発表!?緊急事態宣言の5月いっぱい延長…

 

で、そんな中さらに発表されましたよね。緊急事態宣言が5月いっぱい延長。「なんとか5月6日まで!!」ってまさに唇噛んで血滲ませながら耐えてた人はもう発狂しそうになったんじゃないでしょうか。

 

飲食店さんはデリバリーはじめたり、ライブハウスやミュージシャンは配信はじめたりしてますが、そんな急にはじめて収益化ができる筈もなく(できてる人もいるだろうけど)とにかく苦しみながら試行錯誤やってる感じだと思います。

 

かたや茅ヶ崎ではサーファーが海に出て、河原ではBBQをして、さらにそれをこぞって報道するメディアに、目の敵にしてる人達がいる。でも、ぶっちゃけ僕はサーフィンして感染なんてあり得ない(サーフィンするからって意味ね)し、BBQだって同じで、

 

感染リスクで言うと「その前後に生まれる感染リスク」が問題であって、その行為自体は感染とは関係ないから、やりたければやったら良いのに。と思ってます。

 

県外への移動だってそう。そう言う表現しかできないんだろうけど、県外に移動するから感染て「は?」ですよ。県外に移動したから感染する訳じゃなく、自粛の名の下に楽しみを堪えたから感染しない訳でもなく、要請に従わなかったから感染する訳でもなく、要請に従ったから感染しない訳でもありません。

 

コロナ感染の原因はサーフィンするからでも自粛しないからでもない。

 

コロナに感染する原因、それはとても簡単な事です。

 

「感染者と接触したら感染する事がある」

 

ただそれだけ。BBQもサーフィンもスーパーも病院もライブハウスもカラオケもパチンコも全部、その場所や行為自体は原因ではありません。

 

「感染しやすい状況かどうか?」

 

ただそれだけです。なのに、「こういうケースは感染しやすいです」って発表されたりニュースになったら、もうそればっかり目の敵にして手段が目的に変わっちゃう。その結果が、

 

GWに遊ぶ奴は国民の的だ!」

 

みたいな意味不明の相互監視状態になってる。そもそもですよ、感染リスクをゼロにすりゃ感染しないんだから、本気で感染しないようにするなら

 

「接触率0%にすれば良い」

 

これで感染しませんね。そりゃそうだ。80%減らしたって20%は感染リスクがあるんだから。でもそれは不可能、いわゆる「必要悪」ってやつですよね。家族と話す、友達と会話する、挨拶する、それが「悪」になっちゃうんだからもう終わってますよ。

 

こんだけ書いてりゃ分かると思いますが、僕はいまの「自粛自粛」のあり方には大反対です。アホか?としか思わない。大切なのは「感染拡大の予防」であって自粛はその手段や目安でしかないから。

 

そう言いながらも思いっきり自粛生活してます。

 

で、そんな僕は今どういう生活してるかっていうと

 

ずっと家にいます。

 

スーパーには最小限行くし、畑(菜園やってる)にも行くけど、誰とも合わず会話もせず、家で料理して飯食ってビール飲んでテレビ(HULUとかね。ワイドショーとか長く見てたら気分悪くなるから消しちゃう)見てます。

 

割と「GW自粛生活の鏡」みたいな感じでやってますよ。自粛自粛っていう自粛圧には「アホちゃうか?」と思いながら。

 

自分が取るべき行動っていうのを考えたら結果こうなっちゃってるけど、海が目の前にあって波があって人がいなかったら大いにサーフィンしたいなぁとも思うし、大家族でどうせみんな一緒に過ごしてるならBBQしたいなぁとも思います。

 

でも今遊びに行かなくてもまた行けば良いしBBQもまたすれば良いから家でおとなしく過ごしてます。

 

逆境の中、まさかの4月に過去最高の売り上げ。

 

そして僕の仕事はどうかというと、東京のお店は3月末から休業して売り上げゼロなのにも関わらず、この4月は過去最高の売り上げ(全てネット経由)を記録しました。とはいえ「売り上げ」なので利益が過去最高って訳ではないので悪しからず。

 

「え?めっちゃ調子良いんかよお前!」と言われそうですが、そこじゃないんです。僕が最近イライラして鬱憤(うっぷん)が溜まってるのは。「こんなんじゃあかんやろ!」と憤ってる訳で、それで今これ書いてるんです。

 

めっちゃ長々書いてきたけど、これが僕から見た「今」です。で、ここからが本題。これからどうなるのか?って話。

「今までの暮らしには戻れない」は嘘である。

 

5月末なのか半年後なのかもっと先なのか、いつかはこのコロナ禍は収まるはずだけど、収まった後の暮らしは大きく変わると言われてる。テレワーク、オンライン飲み会、あらゆる事がオンラインに置き換えられて今までの仕事は消滅する、とか言う人もいたりもする。

 

「今までの暮らしには戻れない」

 

とかって言葉を目にすると、すごく悲観的な気持ちになる。でもそれは、ある意味では本当だけどある意味では嘘。そして悪い事ばかりでもないから、実はそんなに気にする必要はない。それにメディアの放送は1週間もすれば真逆の事を平気で言うし。(今回のコロナ報道でも1週間前、2週間前と思い出したらね?)

 

PCが普及する前、携帯が普及する前、スマホが普及する前、どんな事でも何かが変わると「それまで」とは状況が変わる、だから「いままで」と「これから」は違って当たり前。だからあまり気に病む必要はない。でも状況が変わるって事はルールも変わるし正解不正解も変わる。だから「今までの暮らしには戻らない」のは確か。

 

だから、気に病む必要はないと言っても変化は必ず訪れる。その変化への対応は、どんな形態であっても商売をする人には必須。必ず直面する問題です。だから、変化への対応こそが大切なんです。

 

当たり前が当たり前でなくなった時、その価値がむしろ上がる。

 

変化が大きければ大きいほど「今までと同じ」が通じなくなる事が多いけど、それは「今までと同じである必要がなくなる」からに過ぎない。逆に「今までと同じ」が望まれてる場合は、淘汰され当たり前が当たり前でなくなった時、その価値がむしろ上がる。

 

「カウンター主体の飲み屋なんかはもう成り立たない」なんていう見方がある。「コロナ感染の恐怖で誰も客なんて来ないから」っていう理由。でもそれはない、それを望む人が必ずいるから。

 

感染者イジメの本質。で、あなたは本当に大丈夫?

 

例えばこのままコロナが収束したとして、でもゼロにはならない。鎖国もできないしね。となるとみんな「怯えながら外出するのは嫌だ!」って考えるけど、それは「自分が感染していない」って前提だけで考えてるから。もし自分がすでに感染していて、おまけに治って抗体を持ってたとしたら、怯える必要がなくなる。

 

いろんな情報が飛び交ってるから何が真実かは分からない部分があるけど、実はもうすでにかなりの数の感染者(発表されてる比じゃない)がいて、無症状無自覚のまま完治して抗体を持ってる。なんていう話もある。

 

そうなると今まで「感染者」として村八分にされ肩身の狭い思いをしてた人が、ことコロナに対しては「自由を手に入れた人」にもなりうる。すると残りは「まだ感染に怯えて過ごさなければならない人」って事になる。

 

今「感染者め!!」とかって感染者イジメを必死でやってる地方の人(今僕が普段住んでる場所にもそういうのは若干ある)なんて立場が逆になる(というかむしろなって欲しいくらい、そういう風上にいるから石投げられる、みたいな人は最も嫌い)ことも十分にあり得る。要するに数の問題、分母の問題になるから。

 

今「自粛自粛!!」って目の色変えてやってる人は「コロナがなくなる」と勝手に信じ込んでないか考えてみた方が良い。国が言ってる「収束」って果たしてそういう意味なのか?じゃあ集団免疫って何?とかね。

 

人と人との触れ合いは無くならない。

 

脱線したけど、「今までの暮らしには戻れない」ではなくて「今までの暮らしには戻らない」であって「今までの暮らしとは色々変わる」って事が大切。

 

今回のコロナ禍で緊急事態ゆえに「人と人が触れ合う」という事が極端に避けられ嫌われる事になった。だから「今後それが当たり前になる」とかって話もあるけどね、あり得ない。だって

 

「人と人が触れ合わなくなったら人類はすぐ滅亡する」から。

 

そりゃそうだ、触れ合わなければ子供なんて生まれない。「赤の他人同士が触れ合うもんじゃない」って言っても誰もが最初は赤の他人。むしろそうじゃなく子供が生まれる方がヤバイでしょ。赤の他人じゃない=親族?みたいな話になっちゃうし。

 

今はコロナが最大の問題みたいになってるけど、アフリカでは大して問題になってないとか。理由は他の感染症で死ぬ人の方が断然多いからなんだとか。「うわ、怖い!」と思う反面、アフリカの平均年齢は20歳を下回ってるとか。

 

ちなみに日本の平均年齢はなんと、48歳以上らしい僕にも親がいるしいつまでも元気で長生きして欲しいから、健康寿命が伸びるのは良い事だし大歓迎だけど、平均年齢48歳はヤバ過ぎるでしょう?もっと若い人がいっぱい増えてくれないと。

 

人間には生存本能があるから。究極の選択的な話。

 

日本がこれから全力で亡国に向かっていくなら話は別だけど、絶対に若い人が増えないと働きもできないし税金なんて集まらないし国なんて成立しないから「人と人の接触をすべて断つ」方向になんて動かない。

 

まぁ、今までの国のやり方見てたらやりかねない気もするけど、少なくとも(僕も含め)民衆はそうはならない。人間には生存本能があるから。

 

これも気になってる事だけど、「こうやってどんどん日本は年寄りだらけの国になっていくから若い(稼げる)人は出ていく」みたいな話がある。これは確かにその通りだと思う。その通りだけど実際に出て行きまくったら当然に残った人の税負担はどんどん重くなるし、それを繰り返してどんどんどんどん負担が増していったら(今すでにそうなってるけど)システムが崩壊(国が破綻)する。

 

その兆しはあちこちに見えてるし、それ考えるとどうしようもなく堪らない気持ちになるけど、もし仮にそこまでいっちゃったとしても人は残る。残るしかないからって悲しい理由であったとしても。なんとかその前に国の行き先が根本的に変わって欲しいと思うけど、それはまた別の話になるので省略します。

 

酒と手段は飲んでも呑まれるな。

 

またまた脱線したけど、つまりコロナのせいでカウンター主体の飲み屋やバーがなくなるなんて事はない。悲しいけど今回のコロナ禍で生き残れなくて激減する事はあると思う。でも無くならない。だって需要があるから。

 

需要があって分母が減るとどうなるか?それは価値が上がるって事。だから「なんとなくやってた(やれてた)」お店は耐えきれないかもしれないけど、「これが私の生きる道」って信念持ってやってるお店は絶対に頑張って欲しい。耐え抜いた先に希望は絶対あるから。飲み屋、バー、ライブハウス、どんな業種でも一緒。

 

だから今はなんとか生き残るために「デリバリー」とかやってたとしても、「デリバリーをやりたい」でなければ気をつけた方が良いです。しんどくても、なんとか頑張ってそっちに振りすぎない方が良い。手段に呑まれて、肝心の「場」が面白くなくなったら本末転倒なんです。

 

いきなり結論にいっちゃったけど、話ちょっと戻ります。

 

自粛生活で感じたオンラインの便利さと面白くなさ。

 

今回の自粛生活ですごく感じた事は「オンラインの便利さ」と「オンラインの面白くなさ」でした。面倒な手続きや承認、支払いなんかはオンライン最高!少しでも手間がなく簡単な方が良い!って改めて思ったけど、「買う楽しみ」とか「この人から買いたい」とか「あの空気を味わいたい」とかって思いはより強くなった。

 

オンライン飲み会とかめちゃめちゃ流行ってるし「これから飲み会が絶滅する」とか言われてるけど、それはない。「断れなくて出る飲み会」なんかは消滅するかもしれないけど、むしろそういうのはさっさと消滅すれば良いと思う。

 

同様にテレワークもそう。「仕方なく行ってる会社」なら辞めれば良いし「仕方なく会社でやってる仕事」は家でも外でもやれば良い。そこでしかできない「そこでやるべき仕事」だけ残れば良い。その方がよっぽど効率も良くなる。

 

それでいうと銀行とか役所とかの窓口はもっともっと減って良いと思う。あれこそ「対面である必要」が分からない。本人確認とか確実性の問題とかしか必要性が見当たらないから、いくらでも他の方法がある。

 

仕事も遊びももっと「欲求」が重視されるべきだしそうなる。「需要」と「供給」があったら商売は成り立って、それの究極系がオンラインだと思うけど、それはあくまで「生産者と購入者を最短距離でつなぐことができる」から。これは実際に形ある物だけに限らない。

 

「オンライン」は手段であって目的ではない。

 

例えば「物売り」が物を売ってるけどそのニーズが「物」にだけあるのならオンラインの方が良い。あとは送料の問題。500円の送料なら出すけど1500円なら取りに行く、程度のことでしかないから、そこにしか価値を提供できない(ただ仲介するだけが存在意義の)物売りはもはやレッドオーシャンのど真ん中だけど、それは元々きてた流れだし、それが急加速しただけのこと。

 

肝心なのはお客さんが「そこで買う価値」を求めて来てくれてるかどうか。僕はそこを一番大切にしたいから「ものづくり」の側としてそもそも直接販売しかしてこなかった。ギリAmazonさんとかのシステムを借りてるだけ。だから苦労してきた部分も多いけど、今回みたいな状況では周りにほとんど影響されないし信じてきた事は間違いなかったな、と実感しています。

 

オンラインはめちゃくちゃ便利だけど、それは手段であって目的ではない。だから「オンラインが面白い」なんて事はない。あくまで現実の面白さを仮想で体験できる「代替え」でしかない。

 

オンラインというか「仮想でできる体験」である事が面白みなサービスやコンテンツもあるけど、それはやっぱりリアルを知る人間には物足りない。知らなかったらそれで知った気にはなるかも知れないけど。

 

自粛生活の感想「このまま続けたら発狂する」

 

自粛圧自体は「アホちゃう?」と思いながらも自分で選んで、結果すごく「自粛生活」を実践してきて感じたのは、リアルな体験がない生活なんて、オンラインだけで成立する世界なんて全然面白くないって事だった。

 

「このまま続けたら発狂する」

 

だった。同じように感じてる人も少なからずいると思う。だから耐えきれずに外に出て行く人の気持ちはめっちゃ分かるし、それを責める気にはとてもならない。それより「感染しない(させない)ように、ちゃんと考えてる?」って心配しかない。

 

同様に「あいつ自粛してない!!」って目の色変えてやってる人にも「自分が逆の状況になり得ること考えてる?」って思う。まぁなったら分かるし、他人の痛みっていうのは自分が感じないと分からないから、そういう人は一回自分が感じて反省したら良いんじゃないか?とも思ってるけど。

 

もちろん「いや、やっぱり人に優しくが大事」って思ってくれたら大歓迎で迎える(って誰やねんw)けど。

 

なんせ結果的に自粛生活をしっかり体験した感想としては「コレは僕には絶対合わない」だった。合う人もいるんだろうけど、そういう人はどんどんそうしていけば良いと思う。それもまた自由だから。

 

今日このブログを書いてる理由。

 

今日このブログを書いてるのはここ最近のやりきれない気持ちをやっと整理できたから。そしてそれを同じような気持ちでいる人に共有して、何かの参考にしてもらいたいと思ったからです。

 

実は今このコロナ禍でとても困ってる人がいて、その事を知ってからもうめちゃくちゃなんとも言えない気持ちになってた。僕の工房が火災に遭って本当にどん底だった時、何も言わずに支えてくれて助けてくれためちゃめちゃ大切な友達なんだけど、コロナというかこの「自粛圧」で店が死にかけてる。

 

その人はさっき書いた「この人から買いたい(飲み屋だけど)」で店が成立してる人で、本人はあまり気づいてないと思うけどその店の一番の魅力は、美味しい料理でも厳選した酒でも掃除の行き届いた空間でもなく、その人がつくる「場」に価値があって、そこにお客さんが集まってる。そんなお店をやってる。

 

それを自分で認識してないような人だから当然に商売も上手じゃなく器用でもないから、今回の休業要請でお店を臨時で閉めてて、デリバリーや物販なんかにサッと切り替えたりもできない。休業を決める前に、細々と店を開けてたらお客さんが来すぎて(感染源になるのが)怖くなって泣く泣く店を休業する事にしたような、本当に堪らない状況になってる。

 

自粛という正義の裏で泣いてる人がいるという事実。

 

僕はめちゃめちゃ恩があるし、まだまだ全然返せてもいないからなんとか返したいけど、お金めちゃめちゃ持ってる訳じゃないからそういう助けができなくて、それでここしばらく「自粛」って言葉みるだけでイライラしてた。というか今もしてる。

 

苦しいながらに僕はなんとかできてるから良いんだけど、こういう人が他にもたくさんいるんだろうと思うと、さも正義!みたいな顔して「自粛自粛」って実質強制してるのを見るともう

 

まぁそういう中で何かできることないかな、と思って今このブログを書いてます。これを読んで少しでも参考やきっかけにしてもらえればな、と思って。

 

コロナでリアルがオンラインに置き換えられる事はない。

 

僕の仕事は家具づくりで、家具を買ってもらって成り立ってる仕事なんだけど「〇〇より安かったから」というようなお客さんはほとんどいません。「あんたのトコでつくって欲しい」って思ってくれるお客さんに、全力で、全身全霊で家具をつくってます。だからお店が休みだったらネットで問い合わせてくれるのかもしれない。

 

ネットで売れるはずのない家具が、しかも決して安い訳ではない家具が、奇しくも今100%オンラインのみで売上が立ってる(しかも過去最高の)から、まさにこれからは「オンラインの時代」みたいな状況っぽくみえるけど、全く違う。

 

売ってる「モノ」つまり家具はアナログ中のアナログで、決してオンライン化できる物ではありません。体験だってオンラインでは無理。だって家に置いて使って一緒に暮らしてはじめて価値を感じてもらえるものだから。

 

「オンライン子供」を育てる「オンライン人間」になりたい?

 

オンラインを通して遠くの人にでも知ってもらえる、店が休業中でも対応ができる。あくまで「便利さをくれるオンライン」であって、オンライン上に存在している訳じゃない。あくまでリアルがあってのオンライン。

 

「オンライン飲み会」くらいまではあっても、「オンラインペット」とか「オンライン子供」なんてあり得ない。あちこちでオシッコ撒き散らしてワンワンうるさくて、いたずらいっぱいするけど、そこまで全部ひっくるめて喜びや癒しをくれるから「便利」に置き換えられるものじゃない。

 

もしこういう気持ちがオンラインに置き換えられるなら「オンライン人間」にして自分自体も消滅させちゃえば一番効率が良いって事になっちゃう。お腹も空かないし腹も立たないし良い事づくめ。な訳ないでしょ?

 

「かけがえのないもの」を持ってたら大丈夫。

 

ここまで長文を読んでくれてる人は、きっと何かの形で「かけがえのないもの」を扱ってる人だと思います。料理なのか音楽なのか場所なのか酒なのか作品なのか、それが何であっても今なんとも言えない状況で、この先の不安を感じてると思います。

 

でも大丈夫。「これがやりたい」とか「これが核」っていうものをちゃんと持ってたら、それはオンラインに置き換えられたりは決してしないから。むしろそれがあるならオンラインは便利な味方になる筈。

 

もし「そういうのない」って不安になっちゃった人は、不安になるってことは、それ自体が今まで真剣に考えて積み重ねてきた証拠だから、この機会にゆっくり探してみてください。絶対あるから。

 

自粛GWが終わったら…

 

僕はとりあえずこの自粛GWが明けたらまた仕事をはじめる(これまた島で大して人に会う訳でもないし公共交通機関も使わないしで気兼ねなくできる)し、困ってて全然恩返しができてない大切な友達のために、今できることを全力でやります。

 

もし今、先が見えなくて途方に暮れているとしても、あなたがつくってきた「なにか」を「かけがえのないもの」だと感じてる人が絶対いるから、それはコロナ後の世界では消えてるなんて事はありません。それが「守りたいもの」なら、自粛なんかに負けないで、明るい未来を開きましょう。

 

でも、くれぐれも無理はしないでくださいね。生きてりゃそれだけで、後は意外となるようになります。

 

コロナなんかに負けないで楽しく頑張りましょう!ではまた!!

 

もう1本のブログ『ROOTS FACTORYの家具作りたいおっさんのひとり言』

この記事を書いた人
阪井信明

『40歳からの人生のはじめかた』を提案する“RE党”(現在党員1名なので党員募集中)の党首。ROOTS FACTORYという家具の秘密結社のビーチパトロール部門長を兼任。最近うっかりMy菜園をゲットした菜園ティストでもある。完全に世界は自分中心に回っているので世界平和を心から願うB型。カップラーメンには必ず菜園の大葉(シソ)をちぎって入れるのがMyブーム。ありがとう。

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